智香寺は、徳川家康の生母・於大の方を荼毘(火葬)に付した跡地に、その菩提を弔うために建立された寺である。
於大の方は、1602(慶長7)年8月27日、伏見城で亡くなり、家康の意向で葬儀は江戸で行われることになった。その際に、荼毘(火葬)に附したが、その荼毘所に、あとから建てられたのが智香寺である。
伝通院第4世の叡誉聞悦上人の発願により、於大の方の43回忌にあたる1644(正保元)年に創建された。実質的な創設者は、聞悦上人の弟子である信誉貞存上人であるが、師匠を尊び、聞悦上人を開山とし、貞存上人自身は智香寺第2世となっている。謙虚なお人柄であったらしい。
寺名は、於大の方の法名「伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」より、『智香』の2文字をいただき、智香寺と号した。
信誉貞存上人は智香寺入寺以来、三千日余も伝通院殿の菩提を弔うために常念仏を執行している。「常念仏」とは絶えることなく念仏を唱え続けることであり、大変な覚悟がなければできないことである。
1657(明暦3)年の江戸大火の際、10万数千人の無縁のご遺体を供養するために、両国に回向院が創建された。常念仏への精進ぶりが伝わっていたのだろう。貞存上人は回向院住職として招かれ、そこで常念仏を継続している。
智香寺の常念仏は、推進者であった貞存上人が回向院に移られたために断絶してしまっていたが、1691(元禄4)年に増上寺第32世貞誉了也大僧正が、それを惜しまれて、智香寺檀家に働きかけて智香寺の常念仏を再興している。
(『大乗山広大院 智香寺誌』より一部編集の上、転載)
令和の世、残念ながら常念仏は継続できていませんが、檀信徒の皆様と一緒にお念仏を唱える機会を毎月設けているので、ぜひお気軽にご参加下さい。